
この輪の直径だけが、この植物の年齢を示します。
歳輪草は、赤い礫平原に低く広がる、ひざ丈ほどの硬い灌木。ふつうの葉をほとんど持たない。この乾いた土地では葉は水を失いすぎるため、代わりに枝そのものが光合成する。その枝は厚い白い蝋にすっぽり覆われ、乾季には骨のように白く乾いて見える。爪で軽くこすると、蝋の下から鮮やかな緑がのぞく。花は枝に直接つく緑褐色の小さなもので、ほとんど目立たない。だから地上を歩く者には、赤い大地に白い枯れ枝の茂みがあるだけに見える。ところが空から見ると、この植物は必ず輪になっている。直径十メートルから、大きなものでは三十メートルを超える、ほとんど完璧な白い円。輪の内側は、草一本ない裸の赤土である。輪をなす何百本は、種から生えた別々の株ではない。中心で芽生えたたった一株が、地を這う枝の先から根を下ろして自分の複製をつくり、外へ外へと広がりつづけた結果だ。水の乏しいこの土地では、根はまわりの土から水を絞り尽くす。だから内側に取り残された古い株は、自分自身がつくった渇きに負けて枯れていく。枯れた枝は白い蝋を失い、灰黒色にくすんでいく。だから帯を横から見れば、外側は白く、内側は黒い。生きているのは常に、外へ向かう最前線の白い縁だけだ。輪は一年に数センチずつしか広がらない。だから差し渡しを測れば、その一株が芽生えてから何年経ったかが読める。三十メートルの輪は、千年を超える。そして厄介なことに、輪をなす何百本が本当に一個体なのかは、地面を掘って地下の枝をたどるか、遺伝子を調べるまで確かめようがない。輪の形をした偶然なのか、一つの生き物の輪郭なのか。空から見えているものが何なのかは、いまも決着していない。
PLATE I
PLATE II
PLATE III
PLATE IV
PLATE V
PLATE VI
PLATE VII
PLATE VIII
この輪の直径だけが、この植物の年齢を示します。
輪は、中心が枯れ、外へ広がりつづけた跡だからです。
オーストラリア西部、赤い礫の乾いた平原。
この低木は葉を持たず、白い蝋をかぶった枝だけで生きています。
空から見ると、その白い枝は必ず円をつくっています。
輪をなす何百本は、別々の株ではありません。中心で芽生えたたった一株の複製です。