
振り返った時だけ、この谷は真紅になります。
見返り紅は、高さ18cmほどの野生のチューリップ。細い溝状の灰緑色の葉を二枚だけ持ち、茎の先に椀型の花をひとつ開く。花びらの内側は深い緋色で、付け根に暗いワイン色の斑が沈む。外側は細かな粉を帯びた銀灰色。この花の不思議は、向きにある。椀型の花は皿型アンテナのように日光を花芯に集め、花の中心をまわりの空気より数度暖かく保つ。暖かい花芯は花粉を早く熟させ、冷えた朝の虫たちを暖める。だから花は開いた朝から茎ごと太陽を正確に追いつづけ、谷に散らばる何十万の株が、一株の狂いもなく同じ角度で揃う。その結果、太陽へ向かって歩く者には銀灰色の粉をまとった花の背中しか見えず、谷はただの色のない草原にしか見えない。ところが太陽を背にして振り返った瞬間、すべての花の緋色の内側が一斉にこちらを向き、見渡すかぎりの草原が真紅に反転する。花の期間は春のたった五日。五日が過ぎると花びらは散り、谷は本当にただの草原へ戻る。

PLATE I
PLATE II
PLATE III
PLATE IV
PLATE V
PLATE VI
PLATE VII
PLATE VIII
振り返った時だけ、この谷は真紅になります。
花がすべて、寸分違わず太陽だけを向いているからです。
天山山脈の麓、カザフスタン南東部の草原。
椀型の花は日光を集める皿になり、花の中心はまわりより数度暖かい。
だから花は朝から茎ごと太陽を追い、谷じゅうの何十万株が同じ角度で揃います。
花びらの外側は銀灰色。太陽へ向かって歩くかぎり、ここはただの色のない草原です。