
標本は、ほとんど残っていません。
暁褪せ花は、高さ10〜18cmの小型多年草。暗赤色の細い葉を地表近くに広げ、霧で湿る数時間だけ葉面から水分を取り込む。根は地衣類と菌類が作る酸性の微小な土壌層に依存し、乾いた礫地では長く休眠する。花は夜間には深い葡萄色だが、夜明け前に霧の水分で細胞が膨らみ、淡い灰紫色へ変わる。
PLATE I
PLATE II
PLATE III
PLATE IV
PLATE V
PLATE VI
PLATE VII
PLATE VIII
この花は、朝になる前に色を失います。
だから、標本がほとんど残りません。
ナミブ砂漠の海沿いに、夜明け前だけ霧が入る礫地があります。
そこに現れるとされるのが、暁褪せ花です。
夜のあいだ、花は深い葡萄色をしています。
しかし霧が最も濃くなる短い時間、花びらは水を含み、灰紫色へと淡く変わります。
夜明け前の霧が濃い朝、花冠は二時間ほどだけ開き、葯は内側へ倒れて柱頭に触れる。訪花昆虫を待つ構えは残るが、観察した株では小型の蛾の痕跡はまれで、自家受粉が主であろう。花を持つ理由は遠方への誘引より、湿潤時だけ確実に種子を作るためと見える。
結実後の小さな果皮は乾くと裂け、霧を受けると再び粘る種子をこぼす。種子は風で遠くへ飛ばず、石英礫の下縁や地衣類の薄膜に貼りつく。群落が浅い窪地に斑状に現れるのは、散布の弱さではなく、霧水が数時間だけ滞る微地形を選び続けた結果である。
夜の葡萄色は、濃いアントシアニンだけでなく、乾いた表皮細胞が光を吸い込むために深く見える。霧で細胞が膨らむと花弁は半透明となり、内部の散乱光が灰紫を帯びて返る。東風の前にはこの膨圧が短く終わり、翌日には花も葉も礫と同じ色へ沈む。『風前の灯』は採録者の訳名で、実際には霧切れを読む漁労・牧畜の小名として伝えられていた。