
森でただ一匹の客だけに、蓋を開ける壺があります。
獣宿壺は、苔むした雲霧林の低木に絡むつる性の食虫植物。枝先から握りこぶしほどの赤褐色の壺を鎖のように垂らす。ふつうのウツボカズラと違い、この壺は虫をほとんど捕らない。かわりに、大きく反り返った蓋の裏いちめんに甘い蜜腺を並べ、壺の口を、ある一種の小獣の体の長さぶんだけ蓋から離して開ける。蓋の縁には細い触毛が生え、その獣の重さでだけ押されると膨圧が抜けて蓋が持ち上がる。軽い虫では動かず、重すぎる獣にも閉じたまま——鍵の合う一種だけが蓋を開けられる。縁に乗った獣が蓋裏の蜜を舐めるあいだ、体はちょうど壺の口の上にくる。壺の消化液は弱く、獣が落とした糞だけをゆっくり溶かして、痩せた尾根のわずかな窒素をそこから得る。だから中に溜まるのは虫の殻ではなく、たった一種の獣の落としものだけだ。壺は森じゅうで、たった一匹の客のための便所を守り続けている。

PLATE I
PLATE II
PLATE III
PLATE IV
PLATE V
PLATE VI
PLATE VII
PLATE VIII
森でただ一匹の客だけに、蓋を開ける壺があります。
この壺が生きるのは、たった一種の獣の糞だけを養分にするからです。
ボルネオの高地、霧に沈んだ標高二千メートルの尾根。
枝先から垂れた赤褐色の壺は、虫をほとんど捕りません。
大きく反り返った蓋の裏に甘い蜜をたたえ、鍵の合う獣だけを縁に招きます。
その重みで縁の触毛が押されたときにだけ、膨圧がゆるんで蓋が持ち上がります。
満水のプールでは、時刻根草は岩に触れていながら根を出さない。採集瓶に移すと、茎と糸状葉の表皮が薄くぬめり、そこに微細な泥と珪藻片が付く。根を欠くのは怠りではなく、短命な水域で沈殿した有機物と溶存塩類を全身で受け取るためらしい。固着に使う器官を早く作れば、むしろ水位の揺れに引き裂かれる。
花は水面に開くが、虫を待つ構造には見えない。晴れた午前、盃形の花は半日ほどで閉じ、葯が柱頭に倒れ込む。風で運ばれる花粉も少しはあるだろうが、主な結実は自家受粉とみてよい。水が退く直前、白い根毛の基部に粘る小種子が集まり、花崗岩の微細な孔や長石の風化溝へ押し込まれる。根痕は墓標ではなく、翌雨季の保管場所である。
雨季の標本だけを見れば、時刻根草は他の小型水草とほとんど区別がつかない。花も葉も柔らかく、押し葉にすると特徴は失われる。決定的な形質である根毛の噴出は、水深がくるぶし以下になった数時間だけで、採集者はその時刻にはすでに乾いた白い岩を避けていたはずだ。古い目録の曖昧な「一時水域の浮遊草」は、この草を含んでいた可能性がある。